ヒヒノハ
母の日を我が家ではヒヒノハと言う
照れ隠しのように毎年笑ってる
いつだっけ 無視してたあの都市のこと
忘れたふりをしてくれたのも知ってるよ
気持ちだけでいいとわかってても
きっかけがいるよ
1日遅れてもいい
2日遅れてもいい
3日遅れてもいいから 今から電話しよう
母の日を我が家ではヒヒノハと言う
父の日はふつうに父の日と言ってたのに
雨の夜 二人して家を出たこと
背負いきれなくて母さんを責めたね
ハンドルを握る横顔も見ないで
不機嫌そうに私ずーっと黙ってた
言いたくても 言えなくて 言わなかったこと
時が経ったならきっと言えるから
溜まった「ごめんね」1000回分の
ありがとうでもいいかな
1日遅れてもいい
1年遅れでもいい
遅すぎることはないから 今から伝えよう
親は選べなくていい
産まれて来ただけでいい
私が選ばれていたんだね 母さんもそうだよ
一生分でもいい
傍にいられなっても
何年遅れでもいいから あの日の分までも
Written by LOVE
これは、私が10年以上追いかけているシンガーソングライターのLOVEさんという方の曲。
彼女がパーソナリティを務める番組からできた曲の一つ。
今日は母の日だった。私はこのタイミングで、ようやく母の顔をみようと、父と母の姉にあたるおばさんを連れて病院に向かった。
どんな具合だろうと、ほぼほぼ不安でしかない心境の中、私は車を走らせた。
TBSラジオ、安住紳一郎の日曜天国を聴きながらの運転だった。メッセージテーマは「母の愉快な話」。毎年この時期はこのテーマだ。オープニングトークは、NHKはなぜゴールデンウィークと呼ばないのか、この話題も毎年安住さんから聞くお決まりのものだった。
相変わらずのトークに私も気が少し紛れていた。若干ニヤリとしていた部分もあった。
安住さんありがとう。
今年の3月初旬、兄とお見舞いに行った時は、声をかけてやっと目をパチクリするような状態で、母自身で声を発することすらできなかったからだ。
口元には酸素マスク、外れることのない点滴の管。心拍を図る機械もずっとついたままだった。
部屋に入ると母は目を開けていて、意識もしっかりしていた。まずその状態にびっくりした。
父が声をかける。私、おばさん、と皆それぞれに声をかけた。
母はおばさんにも気づいたようだった。父と私にも。
びっくりしたのはこれだけではない。なんと、自分から声を発していたのだ。
はっきりと聞き取れないのもあったけど、これだけはわかった。
「がんばれる。」と。あと、「じゃあね、バイバイ。元気でね。」なんて言ってた。
私は、2月初旬の頃、やはり母が生と死を彷徨っていて、意識がもどってきたその時、
「おかあさんごめんね。もうちょっとだけ、もうちょっとだけがんばって。」
と言ってしまった。後から考えて、今の(当時の)お母さんには酷すぎるかなぁ、と、少し反省をしていた。
私がそう伝えると、母はうん、とうなづいてくれた。
母の人生、もしかしたら病院にいる方が長いかもしれない、そんな風に思った。
そんな中での兄がいなくなって、私の所にもやってきてくれないのは、ずっと母のところにいたのかもしれない。
母のこともしていてくれていたので心配だったよね。
お母さんのところにずっといたのかな?
ちょっと、なによ、そのマザコン。だから結婚できなかったんだよ。
父と母と私の事しか考えてなくてさ。ちゃんと自分のことゆってよ。何かできることあったと思うよ?
もーさ、やめてよ。そーゆーの。自分の幸せ考えて欲しかった。
お母さん、すごい頑張り屋なところあったから、息子も娘も頑張るんだよ。
すげぇ頑張るんだよ。
親は選べなくていい 産まれて来ただけでいい 私が選ばれていたんだね 母さんもそうだよ
ってゆうことだったのかもしれない。
おかあさん、がんばってくれてありがとう。
おかあさんの娘でよかった。本当によかった。
次に母に会いに言った時はこう答えようと思う。
お兄ちゃんは、ちょっと疲れて休んでる、って。でも、お母さんの帰りを待ってるから。
必ず待ってるから、と。そう伝えようと思う。