難民の日
6月20日。世界難民の日ということを知っているでしょうか?
パレスチナのガザ。行く先々でおもてなしをして下さった。生活は厳しく、停電が続く中、それでも僕らのために何かをと出してくれた冷たい炭酸ジュース。こんなに美しいものかと、胸がいっぱいになりました。しゅくらん。しゅくらん。#世界難民の日 pic.twitter.com/HrKmkuFwVY
— 堀 潤 JUN HORI (@8bit_HORIJUN) 2019年6月21日
難民。それは、遠い国のことと感じると思う。
だけど、それは身近なところにも見受けられるということ。
数日前、私は父に呼ばれて家に向かった。郵便が届いているという。
すぐに父の元へ向かった。
すると4つで一つになっているヨーグルトを手にした父が立っていた。
冷蔵庫に持っていくところだった。
戻ってくるとその一つをわざわざ私の手に持たせて、「スプーンそこにあるから食べろ」と父が勧める。
国民年金でそんなに多くない年金生活である父に私はいつもはいらない、と拒否に近い遠慮をするのだが、その日は手に持たされてしまったので拒否もしずらかった。
すぐに私は置いてあるスプーンを使って、「持たされた」ヨーグルトを食べた。
食べ終わるとさらに父は、「バナナ食え。」と私に勧める。
こたつには、数本のバナナがあった。
私はその一本を食べた。
後日、私は父をお風呂に連れて行った。
これは私の「義務」とも考えている父に対する孝行だ。
兄がしていたことだったから私がしなくては、という私の責任感からだ。
話を色々と聞いてみると、父はお風呂はそんなに好きではないということがわかった。
小さい方がいいという。家族と一緒に入りたいとも言っていた。
父はその後に行く、「ご飯屋さん」での時間が好きなのだ。いつもの中華屋さんに着くと、すぐに席に案内してくださった。
働いている人たちみんなに声をかける父。「待ってましたよー」なんて声をかけていただいた。父のにやけた顔が従業員の方たちの心を和ませる。
父はいつもの味噌ラーメン、私はここの名物でもあるトマトラーメン(この日は冷やしトマトラーメンを食べました。)を注文。
私は餃子はどうする?と一言父に聞くと、「久しぶりに食うベぇ」と餃子も注文した。
父の食べる量に変化があったため、一皿での注文だった。
父は味噌ラーメンを少し残してしまった。もう食べれないという。どうして食べれないのかはちょっとまだわからない。
それを餃子のお皿で隠すようにどんぶりの上に置いた。きっと作ってくれた人に対して悪いと感じたのだろう。
その昔、私たち兄妹は父から「作ってくれた人に悪いから、残すんじゃないよ。」と言いつけを守っていた。
食べ終わり、会計をすると、「若い子にもこうやって親孝行するんだよ、」って言いました。なんてお声かけを。「いい娘さんじゃないですか。」と私を褒めてくださった。
私は、「たまにだから。大したことしてないですよ。」とここでも謙遜してしまった。
そして、私は父に聞いてみた。
「お父さんにとって私はいい娘?」「あぁ当たり前だっぺ」と、言ってました。視線は店員さんに向いていましたが。
どんなに貧しい生活でも、自分のために来てくれる人にはもてなしたいし、もてされたらそれに対してしなくてはならないことがあるということ。
これは遠い国の話では決してないこと。
知っていただきたい。
そんな、「私」がいること。
忘れないでいただきたい。
それだけでいい。