おじいちゃん
私が小学校低学年の頃、父親のほうのおじいちゃんが亡くなった。
葬儀には何人来たのだろうか。幼心にもかなりの方がいたように思う。
おじいちゃんは、亡くなるまでずっと一人暮らしだった。誰かが面倒をみていた、というのは特別なかったように思う。
ボケはあったのかな?そこまではよく覚えていない。
たまに母親に連れられておじいちゃんの所に行ったのを覚えている。
その度に母が愚痴に近いことを言っていた。
「おじいちゃんは小遣いもださねぇ」
おじいちゃんが亡くなってからだと思う。
母の具合が悪くなって入院したのは。
母は昔、「普通がいちばん。でも普通、って難しい。」と言っていた。
当時の幼い私にはこの意味がよく分からなかった。
時折、ものすごい勢いで怒鳴りつけたり、いつも使わないようなものを突然買ってしまったり、全く体が動かなくなったりすることもあった。
この、「普通」という言葉。
一体どういうことを持って普通、なのか。
その普通、って誰が作っているのか。
「常識」
これも私にはなかった。
風習的なものも一切やらなかった。
7歳の頃の七五三は覚えてる。
母がよく言っていた。
「うちにはお金がない」
幼い私にも、なんとなくはわかっていた。
兄がなくなり、母が亡くなり、改めてこの話を聞いてみた。
「働いてた時、どのくらいもらってたの?」
「その時で違うけど、最高で15万くらいだな」
私は返す言葉がなかった。
よくその収入で子供2人を育てたな、と。父に対して怒りの感情が湧き上がっていた。
さらに、私は父に問うた。
「お母さんはどんな存在だったの?」
「結婚の墓場だ。」
「ちょっとぼんやりでわかんないんだけど。どういうこと?」
「そんなこと聞いてどうするん?」
「私のこれからの人生の糧にするんだよ。」
「そんなのねぇよ」
「反りがあわなかった。」
「あわなかったの?じゃあなんで私が生まれたの?なんでそういうことしたの?」
「そんなのどうだっていいだろ。」
父は都合が悪くなると逃げる癖がある。
この時点で私は諭した。
全部母がやってくれてたということ。兄のテニスのラケット、ホッケーのステッキ、遠征代、私には楽器(トロンボーン)を買ってくれた。
一日練習といえばお弁当も作ってくれたし、母は1度叔母さんと演奏会を見に来てくれたことがあった。
私は母に対する見方が変わった。
こんなことを母方の叔母さんが教えてくれた。
「結婚する前に病気(恐らく精神病)で入院した」
私は、これは父が無理やり母に迫った結果から病気になったのでは、と想像してしまった。
兄が亡くなって、父は私に面倒をみてくれ、と一緒に住みたいという。
私からしたら、何故もっと早くに兄に言わなかったのか。
そこが疑問である。もう少し、兄からも、どうしようか、という話をしてくれてもよかったと思う。私もそこは反省すべき点ではある。
父は兄に対してよく面倒をみてくれた、と言っていた。一方で父は、兄が結婚しなくてよかったと言っていた。
また私は父に対して怒りの感情が出てきてしまった。
父は家族をどう思っているのか。
父のおじいちゃんの話を聞きたいと聞いてみたことがあった。
父は、「そんなの知らなくていい」と言っていた。
もしかしたら、私はその話を聞いてショックを受けるのかもしれない。
私はどこまで知っていけばいいのだろう?