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今日は「パイナップルの日」…南米から世界へと広まったきっかけは?(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース
ご存知だろうか。
8月17日はパイナップルの日、なんだそうだ。
語呂からきているので、他にもいろいろできそう、なんて思ってしまう。
今年の誕生日、ある方からパイナップル(丸ごと一個)をいただいた。
うちの父である。
正確にいうと、「誕生日を数日たった後の日曜日」にもらったのだ。
普段私にはない。あげる、と言われてもらったものもあったのだが、大概は父が使わないから、いらないからという理由でもらうことが多かったのでもらうことを拒否していた。
こういうことがあったから、正直びっくりした。
元々、誕生日を祝う、という風習が私の家ではなかった。それもあったので余計に不思議でしょうがなかった。
どうしてプレゼントをくれたのか、私は父に問いただしてみた。
「悪いと思ったから」
兄のことを思ってのことだったのだろうか。その時その時で私がやるしかなかった、というのが大半。できないこともできないなりにやるしかなかった。
「いろいろと苦労してるから」
私は苦労と思ってやっていないところもある。やはりその時その時で一生懸命やるしか私はできなかった。
労い、という意味だったのだろうか。
さらに、
「6月か7月かわからなかった」という。
私が産まれた日のことを父は覚えているのだろうか。
昔、母に聞いたら答えてくれた。
また、そのパイナップルはいくらだったのか聞いてみた。
550円だったという。
もらったパイナップルは底が熟している感じがしていた。色が少し変わっていた。
「安いから」と父が言っていたのでそれは値引きされた金額だろうなと想像ができた。
誕生日から1ヶ月以上経ったある日、またパイナップルを父からもらった。
「もらって」というので家で切ってみた。
熟されるというよりは腐る、という感じだったので食べる気にはならなかった。
果汁も少し漏れていたし、皮には少しカビが生えているのが見えた。
それでも私は切って中身を見てみた。望みがあった。これだけでも私は十分だった。
だけどやっぱり無理だった。
私はもう一度父に問うてみた。
「いつもらったの?」
「んー、2、3日前。」
父はもらったから私にくれる、と言っていたのだ。
2、3日前にもらった時にはすでに熟し切っていて、それがさらに進み、カビが生えてしまっていた、ということなんだと推測した。
私は何のために産まれたのか、父に聞いてみたいと思った。
しばらくパイナップルを食べずに生きていこうと思う。
またある日、父がパイナップルとお酒を持ってきた。
今度は私に、と「レタス」とみかんが袋に入っていた。
私は父に聞いた。
「なんでレタスなの?」「いつもの八百屋さんがくれたん。」
いや、そういうことじゃない。父はいつもちゃんとした答えを言わない。
さらに聞いてみた。
「痩せた方がいいかな。」「うん。」
ほら。そういう話を八百屋さんにしていた、って話になるでないか。
「お前の好きにしたらいいよ」
パイナップルとお酒は、いつもお世話になっている中華屋さんに、「差し入れ」と称して持って行っている。
「いつもすいません」と言われ、私も苦笑いをしながら「いいえ。」と答えてしまう。
父には持っていかないで、と言っても持ってくるからだ。
何度言っても聞かない。それが父だ。
今回も、父は持って行った。
ここ最近は、私の車まで取りに来てもらうようにしている。父も足腰が弱くなってきた。
渡すと、いつものように「すみません。こんなにいっぱい。」
苦笑いで「いいえ。」と答える私。
すると、続けてこう話してくれた。
「うちの娘がつわりで、全然食べられない時にちょうどもらったパイナップルあるけど、って言ったらそれだけは食べる、って」
「えーっとね、なんだっけな。パイナップル、梨、あとグレープフルーツ。」
「お父さんありがとう。」思わず私が父に言ってしまった。
「そのうち私もそういう時が来るかもしれないから。」
きょとんとした顔をしていた父が印象的だった。
私が家族を持つことには父は前向きではない。むしろ、私が話題にすると、腕を組んで難しい顔をしてしまうのだ。
「お母さんもそういう時あったんじゃないの?」
「知らねぇ」
父は本当にこういう物事に関して無関心である。兄や私のことについて、「この時こうだった」という話をしても、「そうかや」と返すくらいで、父はどう両親に育てられたのだろうと疑問を抱く。
私がパイナップルを美味しく食べる日は来るのか来ないのか。