punimaruko157のブログ

主に急逝してしまった兄の話。

がんばり続ける

2018年の2月のある日だった。夕方の5時を過ぎていただろうか。

兄から一本の電話がきた。普段、LINEでのやり取りが主だったので、これは緊急を要すると思いすぐに電話にでた。

「母が危ない。」との連絡だった。

当時相模原市に住んでいた私はすぐに実家がある群馬県沼田市に向かった。

すぐに、と言っても神奈川県と群馬県なので3時間はゆうにかかってしまう。

ちょっとした旅行だ。

なので次の日に向かうことにした。

私はもしもの時にもと、礼服も持って母が当時入院していた病院に向かった。

 

病室に着くと、意識を取り戻した母と、父がそこにはいた。

父に話を聞くと、昨日連絡がきて夜通しずっと病院にいたという。おそらく母のそばにいたのでは、と推測する。兄は仕事に出かけたと父が言っていた。

 

私は、母の元に駆け寄り、「お母さん遅くなってごめんね。」と声をかけた。

母は声を発することなく視線を私の方に向けてくれた。

私は、母にこう伝えた。

「お母さん、もう少し、もう少しだけ頑張って。」

 

とりあえず父が昨夜から何も食べていないと言っていたので、最寄り駅の近くにある和食のファミレスでご飯を食べた。

父はお蕎麦を食べた。その時私はお腹は空いてなかったのでデザートを食べた。

 

次の日兄と落ち合った時、私は少し思い切って兄に伝えた。

「お母さん、もう死にたい、って言ってたよ。」

「あぁ。」少しびっくりした表情だった。

「お前に言ってたんだ。」

「そう。前、言ってた。」兄が知らなかった事実だったようだ。

 兄妹の中でも、母をどうしていいのか、「迷い」があった。

 

母は統合失調症という重い精神病を患っている中、私たち兄妹を産んで育ててくれた。

思う通りにいかないことが多かっただろうけど、頑張って育ててくれた。

いつも母は頑張っていた。病気に対しても。入院を繰り返していたけど、回復してくると早く退院したい。と自力で歩けるようにリハビリも頑張っていた。

 

こんなに頑張っていた母に、なんで私はもう少し頑張れ、などと言ったのだろう。

その後悔が日に日に増していった。

 

 

結果、その約一年後に母は亡くなった。

本当にがんばり続ける、私にとって誇りを持てるかわいい母から、私は産まれた。