punimaruko157のブログ

主に急逝してしまった兄の話。

3月

今日は3月の最終日である31日。

3月、というと

年度末とか、卒業とか、そんなイメージがあるかもしれない。

 

私にとって3月は、鬼門とも言うべき月になってしまった。

 

今年の3月はとっても長いような気がして。

 

兄が亡くなって1年、今は1月に母も亡くなった。

 

私はたくさんの悲しみを抱えながら生きてゆく。

 

私にはいくつかの傷がある。

またさらに増えてしまった。

 

どうしたら生きて行けるのだろう?

 

 

 

 

ヌードマン

兄の葬儀の時、高校の担任の先生から数枚の写真を頂いた。

浴衣姿の男子が集まった、記念の写真だ。

 

その中に一際目立つ男子が見えた。

上半身裸でいるではないか。

 

私の兄である。びっくりした。

 

 

兄は呑むとよく裸になる癖があったらしい。

クラスの中でもそうやって周りを和ませてくれていたという。

人懐っこい性格だったと先生は仰っていた。

 

ある女友達が教えてくれた。

呑んだ時に脱いで、寒いのに外に出て、何故か枯葉を被って横たわっていた、と( ̄▽ ̄;)

 

 もう一つ「あれ」な話を。

これは、私が小学校高学年か中学の頃、ある女子の同級生から聞いた話。

体育かなんかで着替えていた。その時に、その女子は兄にこう聞かれたそうです。

「ちらし寿司と握り寿司、どっちが好き?」

その女子は、「ちらし寿司」と答えました。すると、兄がなんと、

お尻を見せたというのです。

お尻探偵もビックリ。

もし、握り寿司と答えたらどうするつもりだったのでしょう?

ちなみに私は握り寿司が好きだ。どうするつもりだったのか?もうその答えを聞くこともできなくなってしまった。

 

全く、しょーもない兄である。

 

妹としてはちょっと恥ずかしいエピソードだ。

 

そういえば、私は兄の大事なところを見たことがない。

今思えば見てやればよかったかな、などとしょーもない事を考えてしまった。

私もまた、しょーもない人間なのかもしれない。

 

64(ロクヨン)

兄がこんなことを言っていた。

「映画の方はさぁ、佐藤浩市かっこよすぎるからなぁ。見る気がしないなぁ。」

私もNHKでやっていた64(昭和64年に時効を間近に控えた未解決事件を解決するというようなドラマ。)を見ていたので、兄のこの意見も分かる気がした。

だけど映画は映画でまた描き方もありそうだし、私はみてみるのもいいのかなぁ、とも思っていた。

ピエール瀧よかったよー。と兄も私も絶賛していた。

さらに、兄は北野武さんの大ファンなので映画ももれなく観に行っていた。

アウトレイジ最終章」も大絶賛していた。パンフレットも見えるところに置いて、ウイスキーを飲みながら眺めていた。

 

私はというと、TBSラジオ「たまむすび」のヘビーリスナーだ。そういえば一度瀧さんにメールを読まれたことがある。すっごく嬉しかった。

兄も仕事を探している時に聞いていたようで、たまにメールも送っていて、なかなか読まれなくて悔しい思いをしていた。

兄はどの曜日によく送っていたのだろう?

報道があった水曜たまむすび、パートナーの博多大吉さんが、パーソナリティである赤江珠緒さんの言葉を1つ1つ受け取っていて、

最終的には赤江さんが読めなかった原稿を読むという事をしていた大吉さん。

その姿に私を含むリスナーも胸を打たれていました。

リスナーさんは、Twitterでよく書き込みをしていますが、番組のハッシュタグをよくつけて呟いてます。

それがすごかった。

ハッシュタグのタイムラインは早かった。

 

ラジオは1対1のメディアであると思うと同時に、パーソナリティとリスナーの関係はまるで家族のようなものだということを私は感じた。

居場所、コミュニティなのだということ。

ハッシュタグに集う大事な「家族」なのだ。

 

瀧さんにはこの「居場所」にしれーっと、いつでも帰ってきて欲しい。

 

 

たまむすびの話、記事にもなっていたようです。

https://www.hochi.co.jp/entertainment/column/20190315-OHT1T50099.html

私には伝わりました。いい記事です。

 

 

また、出演した作品、電気グルーヴとしての作品にも全く罪はない。

見たい人が見たい時に、自由にみたり聞いたりできる社会を私は望む。

 

 

 

 

 

 

コンバース

どれだけ前の話だろうか。私が高校の頃だろうか?

兄と一緒に、(友達もいただろうか?)上野に行ったことがある。

原宿から渋谷まで歩いて行ったこともある。

 

向かった先は靴屋さん。

兄がみたいと言って入ったのかな?

私もついでに靴をいろいろみていた。

ヒールのある靴やスニーカー、靴を見ることはなんだかキラキラした気持ちになる。

すると、兄が「どれがいい?」と聞いてくる。

私は「え?買ってくれるの?」少しビックリした。

 

私はしばらく見てみて、1つを選んだ。

それは、コンバースのハイカットのスニーカーだった。色は水色。鮮やかな水色だった。

https://www.abc-mart.net/shop/r/r0101d2/

 

そのコンバースを兄に買ってもらった。

家に戻って靴紐を通し、

いつ履こうかなと胸踊らせていた。

 

実際に履いてみると、ちょっと重たくて、すぐに靴擦れをしてしまった。

結局、また靴擦れしちゃうのでは、なんて思ってしまって数回しか履いていない。

 

 

兄の死後、

家を訪れると何足かの靴があった。

ほぼコンバースだった。

その瞬間ももちろんコンバースを履いていた。

コンバースは裏切らない」なんてLINEがきたな。そういえば。

 

 

 

 

おまんじゅう

「おはようございます。」

私はコンビニでバイトをしている。今日は土曜日で比較的お客さんも入るのでいつも混雑する。

「〇〇さんはレジはいってね。」

「はい。」

私はいつものようにレジに入る。

 

「レジお願いします」

お弁当を陳列していた私はすぐに傍にあるレジに入った。

 

「いらっしゃいませ。」

そこにはたまに見る30代くらいの男性がいた。

私はずっと思っていたことを今回はちょっと勇気を出して聞いてみた。

「いつもこれ(おまんじゅう)買いますね。」

すると男性は、

「あ、あぁ。」といってうんうんと頷いた。

「好きなんですね?」

「いや、これは、俺じゃぁないんです。」

そう言うと、慌ててお釣りをもらい店を後にした。

 

 

 

 

兄が当時入院していた母のところに行く時、

途中のコンビニで、いつも「おまんじゅう」を買っていた。一緒にコーラも飲ませていた。

それを母親に食べさせていた。

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いつからか、コーラが無くなり、カットフルーツを一緒に持って行っていたようだ。

 

 

私がおまんじゅうを持っていくと何故だかいらない、と言われてしまった。

 

 

 

母は食べることが大好きで、私も母と一緒に食べる時間が好きだった。

お昼時に向かうと、みんなで一斉に食事をしているところに母親もいて、

お粥のようなおじやのようなものを食べていた。

こぼしながらでも自分で食べていた。私は持っていたティシュでこぼれたそれをふき取っていた。

すると、母親はそばにおいてあったプリンに手を伸ばし、食べようとしていた。

「プリン食べるの?」

母親はうん、と頷き水を得た魚のようにむしゃむしゃと食べていた。

これでもか、というくらいに最後の最後まで食べようとしていたので、

「とってあげようか?」と最後まできれいにとって食べさせてあげた。

「満足?」と母親に聞くと、「うん」と頷き、「お母さんプリン好き?」とすかさず私は母に聞いてみた。

「うん。好き。」と答えてくれた。

プリンを食べ終えたので、私はこれでごはんは終わりかな?と思ったらまた残っていたお粥を食べ始めた。

「まだ食べるんだ。」私は少し驚いた。

味噌汁もほぼ残さず飲み干し、ほぼ完食した。

 

そういえば、こんなことを母親と話したことがある。

「好きな物は先に食べるものだ。」と。

当時、幼かった私は、好きなものは最後にとっておく、というクセがあった。

それをみていた母親が思わず話したのだろう。

 

ご飯を食べ終わったという母はすかさず、「歯ブラシ。」という。歯磨きをするというのだ。

当時の看護師さんが言うには、「ちゃんと自分でやるんですよ。」なんていっていた。

自分が出来ることをしようと母もがんばっていたのだ。

何事に対してもがんばる母親だった。

 

レクリエーション的なものが定期的にあって、

自由にやりたいものや食べたいものを患者さん自らが話す時間があって、たまたまある時私も同席させてもらった。

「お母さん、何かある?食べたいものとかある?」

「お団子。」

「お団子食べたい?」

それを看護師さんに伝えると

「この間もそんなこと言ってたね。もっと大きな声で言ってね。」

 

お団子も昔よく一緒に食べた。

あんことみたらしが入っているものを食べたが、私があんこ嫌い、と言ったのでみたらし団子のみのものを一緒に食べていた。

その頃のことを思い出していたのかもしれない。

 

病院を出て、車の中で兄に電話をかけてみる。

「もしもし、お兄ちゃん?」

「おう。今病院か。」

「うん。それでさ、お昼を食べてたんだけどさ、ご飯の途中でプリンを食べてさ。笑っちゃったー。プリンを食べたあともご飯食べてさ。」

「そうかー。いいんだ。それで。それでいいんだ。」

 

兄は力強く言っていた。

 

 

 

 

 

※母親は先月の25日に亡くなりました。

 

演奏会

私は中学高校と吹奏楽をしていた。

楽器はトロンボーンを担当していた。

私の住む所には地域に根ざした吹奏楽団がある。

 

私が中学2年の時のことだった。

毎年開催される定期演奏会があり、友達と行く約束になっていた。

友達と合流し、いざ会場に入ろうとするも、チケットがない。

どうしようと思った私は、自宅に連絡し、兄がいたので持ってくるようにお願いした。

 

20分くらい経っただろうか。

兄が自転車に乗ってやってきた。

当時の兄は高校生。

チケットを渡してくれた。

 

ズボンのポッケではない、あるところから出てきた。

それは、かぶっていた帽子の中からチケットが出てきた。

当時の兄は高校の校則で坊主だった。それで普段帽子をかぶっていた。

 

友達は苦笑いをしていた。

きっと、兄的にはウケ狙いでやったのだろうと思う。

私はちょっと恥ずかしいと思った。

 

 

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私が離婚をして、しばらくしてから兄から、エレカシのライブに誘ってくれた。

会場は、ベイシア文化ホール群馬県民会館)だった。

 

「いやー、ここ、達郎(山下達郎)も来たんだよなぁ。」

「悪いけど私もやったよ。数分だけど。」

私は学生時代、夏の吹奏楽コンクールで何度かここの会場でステージに立っている。

B組というクラスだったので自由曲のみの演奏なので、ほんとにわずか数分。

 

そんなことを話すと、兄はちょっと羨ましそうな、すごいなぁ、といったかんじの表情をしていた。

 

 

 

ケーキ

先日のクリスマス、結局ケーキを食べることができずにいたので、大晦日、私はいつもの兄お気に入りのケーキ屋さんに足を運んだ。

縦に細長いお店はお客さんが入れ替わりたちかわり出入りしていた。

ドアの手前で会計をしているところをちらっとみると、お客さんの手にはホールケーキが。

家族づれだったのでみんなで食べるんだなぁ、でも、クリスマスもケーキ食べて、大晦日にも食べるの?なんて私は思った。

 

透明のショーケースにはたくさんの、見た目にもインスタ映えしそうなケーキがずらりと並んでいる。

いつまでもその場にいたいとさえ思えるすごくステキなケーキ屋さんだ。反対側には焼き菓子、コンフィチュール、紅茶なんかも陳列されている。さらに奥にはステキなチョコレートが。席が少し設けてあって、その場で食べることもできる。

視線を少し上にやると、私が誕生日に食べたショートケーキが。生クリームの味を思い出して思わずニヤリとしてしまった。

再び下に目を向けると、飛び込んでくる色鮮やかな二種類のタルトが。

私はその二種類を買った。

 

そして私は、それを持っていつものママさんのところに行った。

夕方から出かけるという話を聞いていたので、若干滑り込みでお店に入った。

「ケーキ買ってきたから食べませんか?」と私が誘う。

「どうする?コーヒーでも飲む?」とママさんがコーヒーを淹れてくれた。

ケーキの箱を開ける。

「どっちがいいですか?選んでいいですよ。」私は先にママさんに選んでもらおうと思った。

すると、「選べないよー。選んで?」と恐縮させてしまった。

「私も、どっちでもいいやー、と思ってこの2つにしたんですよ。」と言ってみたけど頑なに選べない、と。

私はいちごのタルトを選んだ。いちごは私の1番好きな果物だ。

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ママさんはフルーツタルトを食べた。

 

「クリスマスに食べれなかったから。たまにはこういうの食べないとやってらんないですよ。」私は愚痴るようにママさんに話す。

クリスマス、よく兄と一杯やってたという話を聞いていたので、お店に行ったけどケーキやチキンはなくて。

私もその日どうしようか悩みながら行ってしまって、手ぶらで行ってしまったのが心残りになっていて。

 

すると、いつもケーキを買っていたというコンビニのオーナーさんの話に。私も一度お見かけしたことがある。

どうやら、店内を見上げたところに置いてある数枚のレコードはそのオーナーさんとよく聞いていたとか。

夜遅くにやってきて、兄とよく聞いていたという。ちなみにレコードプレーヤーはオーナーさんのものだそうだ。

私はそのレコードを聞いてみたいとずっと思っていた。どんな感じで兄が聞いていたのか私は知りたい。

 

帰りがけ、「来年はいい年になるといいね。」とママさんから声をかけてくれた。こういう気持ちを伝えてくれる私にとって本当にありがたいと思うお一人だ。

今年は、いいことが私に多く起きますように。