punimaruko157のブログ

主に急逝してしまった兄の話。

スポーツ

ロシアでサッカーW杯が開催された。日本の勝利に私も気持ちがよかった。

決勝トーナメントに進出するもベルギー相手に2点先取したのはすごかった。

あまり詳しくない私でもあの試合はすごい、と思った。

改めて選手、監督、スタッフのみなさん、現地まで行ったサポーターの皆さん、お疲れ様でした。

 

兄もサッカーは好きで、割とスポーツメーカーのジャージなど、常に着ていた。

その昔、サッカーのルールに、オフサイドが加わった時、

そもそものルールをあまり知らない、ということもあったけど、

あまりにもテレビやなんかでオフサイド、という言葉を聞いていたので、

私は兄に、「オフサイドってどういうことなの?」

「シュートを打つだろ。その時にこのラインの内側に選手がいないとダメだんだよ。」

「へぇー。」

それから私はちょっとだけサッカーをみるようになった。

 

元々兄はスポーツが好きで、小学校の頃は水泳が得意で、バタフライの記録(当時の市内で)を持っていたと、同級生が教えてくれた。

中学の頃はソフトテニス、高校はフィールドホッケー部に入っていた。

高校の頃、実は水泳部に入ろうと思っていたらしいのですが、高校の水泳部の顧問の先生が厳しい、と話を聞いていたらしく、それが嫌で、先輩に誘われたホッケーにした、と兄から話を聞きました。

本当のところはどうだったのかなぁ?水泳部とホッケー部。

ちなみに、私も兄と同じ高校を卒業したのだが、水泳部の顧問の先生には、選択の授業(商法)を教わっていた。そこだけを見ると優しい、割といつもニコニコ、たまに授業とは離れた話などもしてくれてちょっと変わった先生だなぁと思った。

ホッケー部の顧問の先生は、体育の先生だった。

私は教わる事はなかったのだが、その先生を知る方にちょっと聞いた話だが、だいぶ厳しい先生だったと聞いた。何をもってどういう視点で厳しかったという表現がまだできないのだが、ホッケーの国体の選手だったと聞いた。ちなみに葬儀にもいらして下さった。

当時どんな厳しさがあったのか私は知らないのだが、兄がその厳しさについていったのはその後の人生に役にたったのではないかと私は推測した。

 

 

私は、高校の頃からバレーを見るのが好きで、(最近は見なくなってしまったけど)W杯などよく見ていた。

ある時、私が熱心にバレーを見ていたところに兄が来て、

「俺はなぁ、これをはったんだ。」と、審判が座っていたポールを支えていた部分を指してこう言っていた。

当時、兄は体操用具やスポーツ用具を作る工場に勤めていて、その製品は、オリンピックなどの国際試合などにも使われていた。

なので、年末から年度末くらいにかけてかなり残業が続いていた。兄も積極的に残業や土曜日出勤など協力していた。

私は兄がつくった製品が国際試合で使われている事を聞いて、「お兄ちゃんすごい。」と素直に思いました。

だけど、その時は「へぇ。」としか私も言えなくて。

もっと兄の仕事の話を聞いてあげたらよかったと後悔が募ります。どんな人がいて、こういうことが大変なんだよ、という話を聞きたかった。

私は、仕事を何回変えたかというくらいいろいろな事をしてきた。

兄は40を目前とした頃だったろうか。長年勤めたスポーツ用品をつくる会社を辞めた。

その頃、少しお腹が出ていたのを見かねて私は、「また水泳やれば?」なんて言ったら、「もうバカみたいに泳げないよ。」なんて返された。

 

私の経験した事が兄へのアドバイスとなる事があった。

転職をする際に、何度も何度も履歴書を書いた。兄からこんなことを聞かれた。

「バイトでも履歴書を書くの?」と。私はこう答えた。

「バイトだろうが働いてお金をもらうことには変わらないよ?だから履歴書なんて当たり前に書くよ。」

「ダメだなぁ、俺は。」なんて言葉が返ってきた。

当時私は、母のこと(入院中で、ほとんど介護をしてもらっている状態)もあるので、介護の仕事とかやるのかな?などと勝手に思っていた。これは私の意見でしかなかった。

 

兄は製造業一筋だったが、趣味をこうじた仕事がしたかったという。

ファッションにもこだわりをもっていたので、アパレル業界の仕事をしたかったそうだ。

今思うと、やってみなよ、の一言も言ってあげられなかった自分に後悔が残る。

兄なりに夢があったのかなぁ?と。もっとちゃんと話を聞きたかった。

 

母が精神病を昔から患っていて、入退院を繰り返していた。

私は高校を卒業して、働きながら趣味の吹奏楽を続けていた。楽団にも入っていた。

母が入院をするとなった時、私は楽団をお休みしようと兄に言ったことがあった。

そしたら、「やめることないよ。やったらいいよ。」

と言ってくれた。その時のことは忘れない。

どれだけ背中を押されたことか。

ホントに感謝の気持ちでいっぱいです。

 

それだけにお兄ちゃんのしてみたい、したい事に対してやってみなよ、と言えなかった私に後悔がつのる。

 

ごめんね。お兄ちゃん。