事故を経験して改めて思うこと
9月1日、21時35分頃私は交通事故に遭った。
命は助かったが、全治3ヶ月の大怪我を負った。
時間帯は夜で、私はコンビニに行く途中だった。近くということだったので、必要最低限のもの(財布、家の鍵)のみを持って歩いて出かけた。
ほぼ歩行者はいなかった。相手方の車以外の車はいなかった。これは田舎特有のものかもしれない。
横断歩道で信号があるところで私ははねられた。
その横断歩道は、押しボタン式で歩道の信号が変わるものだった。
コンビニまでの道は裏道で、(民家の間を通るもの)以前兄とよく歩いた道のりだった。
私はいつものように押しボタンを押して、信号が変わるのを確認して歩き始めた。
すると左側から強いライトが当たっているのがわかった。今思うと他に車がなかったので余計にライトの光を感じた。
だけど車の方の信号が赤だから止まるだろう、と思ってそのまま歩き続けました。
中央分離帯を少し過ぎたあたりで私は軽自動車と接触、跳ねられて反対側の中央分離帯の近くに横たわりました。
車が来た、とわかった瞬間はぶつかって、「ドン」という音がしたのを覚えいています。
横たわった瞬間、思わず「お兄ちゃん。」と呟いていました。
当たったところは、おそらくだが腰と背中、だったかと思う。私はその時に気づいた。
兄とぶつかったところが同じではないか?と。私は左側全体に痛みがあった。頭痛もしばらくした。
ここでも兄妹を感じてしまった。感じたくない共通点だ。
音がしたのを聞きつけたのか、どこからか(たぶんご近所さん)「大丈夫ですか?」という声を聞いた。少し経ってパニック気味の女性の声で、「ごめんなさい。」というのを聞いて相手を認識した。
その人たちの行動なのだと思うのだが、すぐに救急車を呼んでくれて、すぐに来てくれて病院に搬送された。このことは本当に助かった。
約2ヶ月の入院生活だったのだが、この痛みを感じている時の私の思考はとことんマイナスになっていた。「私は生きていていいのだろうか?」そんな事まで考えてしまった。
この時に兄がいない、という事がどんなに心細かったことか。支えになる家族がいない、ということが私にとって重い事、ということがわかった。
今回の事故の反省をするなら、私は信号が青でも周りを見るようにしたいと思う。
また、私のような思いの人が1人でも減るよう心から願う。もちろん加害者の立場にもなってほしくない。
警察の方とも少しお話をさせてもらいましたが、今私の住む群馬県沼田市は、昼間でも歩行者がほぼほぼいない、といったところである。
ドライバーさんは、「だれもいないだろう」という意識で運転しているところがあると思う。
私も一運転する者として、少しだけでも意識してハンドルを握ることを心がけている。
少しでいい。1人一人が少しだけでもいいから意識を持つことで事故は減らせると私は信じる。
私はその警察官の方に問いました。
「どうやったらその意識って変わるんですかね?」
「うーん。まぁ、免許取りたて、ってみんな慎重に運転するじゃないですか。」
「そうですね。取りたてって慎重でしたよね。」
「あの時のことを思い出して欲しいですね。」
初心忘れるべからず、といったところだろうか。何事にも心がけていきたいものだ。
先日、私が参加している #論破禁止 ゼミ にて、若新雄純さんがこんな事をいっていた。
事実を積み上げながら意見をする事によって、実はすごく安心する事にもつながる。
また、
難しい問題ほどどっちがいいか悪いか、ではなく、「これは事実」「これは意見」とわける事が重要だ。
このブログは交通事故、という事件による事実を、被害者である私が積み上げた事実を綴ったものである、ということがわかった。