punimaruko157のブログ

主に急逝してしまった兄の話。

事故にあいました

今月に入ったちょうど1日の夜、私は交通事故にあいました。あってしまいました。

 

兄が住んでいたアパートに私が住むようになり、ちょうど半年が経とうとしていた。

 

私はちょっとした買い物を、と近くの本屋さんに出かけた。

目当てのものが見当たらず、「もしかしてコンビニとかにありそう?」と、またさらに

そこから近所のコンビニに、と足を運んでいた。

 

途中、大きな道路を渡る横断歩道があって、それは、ボタンを押すと信号が変わるタイプのものだった。

その道は、兄と一緒に歩いた道でもあった。

 

いつものようにボタンを押すと、すぐに信号は変わった。

車道側と歩行者側の信号が変わるのを確認した私は横断歩道を歩く。

すると左側から光を感じた。車が来ていたのだ。

私は、「信号が変わってるし、スピードも落ちるだろう。」と思っていたその矢先でした。

 

私はその車に跳ねられてしまった。思わず、「お兄ちゃん」とつぶやいてしまった。

 

「大丈夫ですか?」どこからともなくご近所さん(だと思う)が出てきてくれて、

救急車をすぐに呼んでくれた。

頭が危ないと感じてくれたある方が座布団を枕にして置いてくれたり。ほんとにあの時のみなさんの咄嗟の行動は尊敬に値します。

 

幸い、私は意識はしっかりとしていて、すぐに駆けつけてくれた救急隊の方に対しても、ハッキリと自分の状況を伝えることができた。

頭、首共に打った感じはなく、とにかくほぼ左側全身に痛みがあった。

 

夜で交通量が少ない状況だったので10分もしないうちだったろうか。

私は市内の大きな病院に到着するとすぐにレントゲン、CTを撮影した。

脳にもこれといった損傷はなかった。これも本当に幸いする出来事だった。

 

私の体の損傷は、骨盤にひびと、仙骨の骨折ということだった。

特に手術もなく、基本的に安静にしていれば治るという。

私は「ホントに?」と思うと同時に、人の体ってすごいなぁ、と思いました。

 

 

この、事故にあって入院しているということを、早く伝えたかったのですが、

私が家を出る時に携帯を家に置いてきてしまって、

それからさらにお願いして持ってきてもらうまで少し時間がかかってしまったので、

伝えるのがおそくなってしまったということです。

仮に、携帯を持っていたら携帯が壊れていた可能性もあったわけです。

そこも、幸いしたのかな、なんて思う。

壊れていたら、今、こんな風にブログに綴ることも、TwitterFacebookなどのSNSでの発信、

さもなければ電話などで伝えるということさえもできなかったかもしれない。

 

今年はほんとに色々な嫌なことが起こる。

お見舞いに来てくれた人からは、「お祓いしてもらったら?」と言われたり。

今まであらゆる困難に耐えてきた私も、今回ばかりはかなり凹んだ。

どうしてだろ。私なんか生きてていいのかな?そんな考えにも至った。

 

「居場所」についても考えが及んだ。

東京でいろんなシンポジウムや論破禁止ゼミやら、色々と参加してみて、

自分を知るきっかけになった。

兄の死からいろいろ見えるものがあって、さらに知りたいと思った。

また、私が学んできたことを伝えたい、私を知って欲しい、とも思った。

私がやりたい、と思っていることがたくさんある。

また、私は兄のぶんまで幸せにならなくてはいけない、ということもある。

私にはたくさんの傷がある。深い深い傷が。

その為にも、今の時間を有効にして、じっくりと自問自答をし、

答えを出すことができたらと思う。