直売所
母が入院していた病院がある地域に、農産物直売所がある。
この近所に、いつも私たち家族が立ち寄る馴染みのお蕎麦やさんがある。
こちらのサイトを参照してみていただきたいのだが、店内には有名人のサインが並ぶ、いつ行ってもお客さんでいっぱいのこのお店である。
兄が母と病院に行く時、それに父がついて行くということもあったそうだ。そしてお昼にここのお蕎麦やさんに寄っていたという。父が教えてくれた。
母が亡くなってからしばらく行けてなかった。
私はキャベツが美味しくて安いので買い物に行きたいと思っていた。
ここの直売所は、土日祝日のみやっているところなので、父をお風呂に連れて行くついでに帰りに寄っていった。
お風呂から出ると私は高速に乗って赤城インターを目指した。
私は朝から何も食べていなかったので、お腹がなるほどお腹が空いていました。
先にお蕎麦やさんに向かうことに。
駐車場もいつもいつもいっぱいなので、「入れるかなぁ?」と心配しながら入ってみると、奇跡的に一台分空いていて。
お店も入れるかな、と気にしていたらちょうど入ってすぐのお座敷の席が2席空いていたので座ることができた。
寒かったのであたたかいものがいいと、メニューを開く。
少しすると父が「俺はそば定食にすらぁ。」
「そう。」と私が答えると店員さんを呼ぶブザーを鳴らす。
そば定食と山菜そばを頼んだ。
待っている間父は一点をじっとみていた。店員さんに夢中である。父は女の人が大好きである。
もしかしたら母はこんな父を、「まったくもう。」という気持ちでみていたのかもしれない。
少し待つと2つとも同じタイミングでできた。
父のものは定食だったのでいくつか小鉢がつく。
私は自分のものを食べ終えると手をつけていない小鉢が気になった。
きんぴらごぼうだった。
「いらないの?」そう尋ねると食べていいよ、と父が言った。
ごぼうと人参としいたけ、こんにゃくも入っていた。
1口食べると柔らかいごぼうと甘辛い味がとても染みる、昔ながらのなんだか安心するような味がした。
兄とも一緒にここのお蕎麦屋さんで食べたことがある。
兄はよく食べる方だったのでカツ丼とお蕎麦のセットを食べていた。カツ丼は裏切らない。
私は母がここで何を食べていたのか知りたくなった。
父に聞いてみた。
「肉うどんの定食。」つまることなく答えが返ってきた。
それが本当のことなのかは今の私にもわからない。
だけどすぐにでてきたことがすごいと思う。
父にはまだたくさんの母とのエピソードがあるはずだ。
「食べる」事に関してだけでもあるのだろうから、その数は計り知れない。
父が元気なうちにまた話せたらと思う。
私は直売所で買ったキャベツを使って、焼きそばを作った。
私が昔母から教わったレシピだ。
母の焼きそばはピーマンを入れるのが特徴。(これには入ってないけど)
私はたまに人参とかも入れていた。
お好み焼きも作った。
お好み焼き。ずっと食べようと思ってて。やっと作りました。#おうちごはん #納豆 いれました #おいしくできました
これは埼玉にいた時に作っていたもの。母や兄にも食べさせてあげたかったな。
兄にはモツ煮を私が自分で作る、と言ったらものすごく興奮していた。
店でも、なんて口走っていたことがあった。
「食べること」は生きることにもつながっているのだ。
私は今日も、「食べること」を怠らずに生きる。
缶
兄が突然いなくなった。
会いに行こうとしていたその日に。
半年が過ぎるか過ぎないかくらいだったろうか。
父親がこんな事を言った。
「夢にでてきたん。」
「おやじ、いるかー?って玄関から入ってきた。」
「嘘、夢に出てきたの?」
1年が経とうとしていた頃、兄の同級生の女の子から連絡があった。
夢に出てきたという。
あのままだったという。
これから夢にでてくる兄はずっとあのままなんだろうな、と話していた。
ずるいよね、お兄ちゃん。
私のところにはこないのかな、と思っていたある日、
兄と共通の趣味であったラジオ番組を聞いて寝た後のことだった。
私は兄の車に乗って運転しようとエンジンをかけた後、助手席をあける音がした。
「よお。」といういつもの兄の声がしたのがわかった。
手には缶コーヒーを持っていて、よく振ってその後ドリンクホルダーに置いていた。
「お兄ちゃん」
呼んでみたところで目が覚めてしまった。
これが本当の「ナイスコーヒー」なのか。
兄は、TBSラジオの東京POD許可局のリスナーだった。
私が聞いた寝る前に聞いたラジオも、東京POD許可局だった。
https://www.tbsradio.jp/tokyopod/
#コーヒー #TBSラジオ #お兄ちゃん #助手席 #夢 #空から始まる連想
空
「空」といえば、
私が敬愛するドリカムさんの歌、「空を読む」という曲がある。ライブでもよくやる名曲でもある。
http://j-lyric.net/artist/a000618/l0041ab.html
なんとも切ない気持ちになる曲だ。
「思い通りになんていかない 愛したい人には伝わらない」
という歌詞から始まる。
うれしい!楽しい!大好き!のように超ポジティブな曲とは程遠いとも言える曲だ。
だけど私はこの曲が好きだ。
「強くなくてごめんね 誰にいってんのかな? 涙とため息詰め込むポケットがあればいいのに」
このフレーズに何度心を動かされたか。何度泣いたことか。
私の人生の節目節目には必ず、「ドリカム」の曲が寄り添ってくれていた。
また、シンガーソングライターのLOVEさんの「Blue Finch」という曲がある。追いかけてもう10年を超えてしまった。愛「が」歌うをモットーにしている。
この曲の好きなところは、だんだんお互いが近づく様子が見えるところ。
「あなたに見える青を知りたい 私に見える青を見せたい 私はあなたのことが知りたい」
さらには、「あなたの瞳に入りたい」とも。
瞳に入る、ってすごい。でもそれは「愛してる」の表現なのかもしれない。
私のInstagramを改めてよくみてみた。
食べ物の次に風景、「空」を撮っているものがあった。
建物と、空とのコントラスト、みたいなものが私の脳に刺激としてあったのかな、と思う。
この写真でいうなら雲の様子もカメラを向けさせた理由の一つ。
空を見ると、その青に吸い込まれそうになることがある。
Blue Finchの歌詞の中に、こんなフレーズがある。
【きっと願いは同じで 立ってる場所が違うだけ】
その、「願い」ってなんだろう?
(この動画は、毎日ビデオジャーナリズムラボでの最優秀作品です。私は、この動画をみると、未だに涙してしまいます。何かを感じると思います。是非再生してみてください。)
消えることのない悲しみにどうにか一歩前に踏み出せること。
今の私にはずっと重くのしかかっている。
私に必要なものは何だろう?
私は何ができるのだろう?
私を誰かに認められたい?誰が認めてくれたら信用できる?
私は
私は
私は
またふと空を見上げてしまうのだろうな。
でも、空はどこまでも続いているものなんだよな。
空のはじ、ってどうなっているのだろう?
どうして人は空を見上げるんだろう?
DREAMS COME TRUE - 空を読む (from DWL 2015 Live Ver.)
焼きそば
焼きそば、というと、ソース焼きそばを思い浮かべることが多いかもしれない。
また、焼きそばは私も母親から作り方を教わった料理の一つでもある。
野菜をたっぷり炒めて、麺を入れた後にその炒めた野菜をのせて、もやしも乗せてお水を入れて蒸し焼きにすることがコツである。
母の言う通りに作っていたら父も気に入っていたようで、週末のお昼は私が焼きそばを作って両親に食べさせていたこともあった。
先日、父とお風呂に行った帰り、いつもの中華屋さんでお昼を食べた。
いつもなら「味噌ラーメン」を頼む父ですが、その日は珍しく違った。
焼きそばを頼むという。
ここの焼きそばはどういうものかと私に聞かれた。
「しょうゆ味」って書いてあるよ。私は父にそう言った。
いつもの店員さんに再び聞いてみたら、「タンメンの麺にしょうゆ味のものですよ」とさらに丁寧に説明してくれた。
それを聞いた父は納得して焼きそばを頼んだ。
私は母が食べていた五目ラーメンを頼んだ。餃子は今回は頼むのをやめた。
それには理由があって。
人気店なので行くといつも混んでいる。この日ももれなく混んでいた。なので店の前に名前を書いて待っている時間、父は料理を運んでいる店員さんやお客さんの様子をじーっと見つめているのだ。
これは私の想像。
父はそれだけでお腹がいっぱいになってしまうのではないか、と思うのである。
いつもの声をかけてくれる店員さんに、鍋を振るう職人さんに会えるのを楽しみにしているのではないか、なんて思うのだ。
私はこの日、なんでこの中華屋さんなのか聞いてみた。
「なんでもないよ」と父から答えが。
核心をつく質問をすると人は答えを誤魔化す傾向にある。父もその一種なのかもしれない。
焼きそばが先にきた。いつも父が頼むものが先にくる。これはお店の方の心遣いなのかもしれない。同時に食べ終わらないと父は残してしまう傾向にあった。それを見てのものだと想像する。歯がない父の食べる姿を見てということもあるだろう。
とてもありがたい。
すぐに食べ始める父。「美味しい」と言っていた。そのすぐ後に私が頼んだ五目ラーメンも届いた。
母が食べていたという理由で私は五目ラーメンを食べるのだが、この塩味のだしの効いたスープがお気に入りでいつも食べている。私の好きなメニューの一つになった。
私もラーメンを食べつつちらっと父を見ると、体を乗り出して別のところを一生懸命見つめている。
「何を見ているの?」私は思わず父に問いかけた。
「カレンダーだよ。」
さらに、父が「焼きそばがしょっぱい」と言い始めて。しまいには、「スープはねぇんきゃ。」と言ってきて。
私はとっさに食べていたラーメンを急いで食べ終えると残ったスープを父にあげた。
父も以前に食べたことがあって、美味しいと言っていたのを思い出した。
あの時の私のとっさの行動はなんとかせねば、というものだった。
本当に焦った。
父はなんだかんだで意外と舌が肥えている人なんだと思う。
兄もそうだった。色々な飲み屋を飲んで食べていくうちにそうなったのだろう。
こういうところが親子だったんだな、と今更ながら私は知った。
食べ終えて会計に向かうとき、いつもの料理人の人に、「美味しかったよ」と声をかけていた。
これは父の心遣い、と言っていいのか。
カウンターで食べていたので、きっと私たちの会話はまる聞こえだったように思う。
なんだか申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまった。
この日はこれだけではなかった。
注文をし、いつものようにスマホを見ていると、いつも声をかけてくださる店員さんが、私に「今日はお父さんに嬉しい一言を言ってくれたんですよ」と半ば興奮気味に伝えてくれた。
私も興味津々に何を言ったんですか?と聞くと、「そんなんじゃ嫁にいけないぞ、って。私孫もいるのに。なんだか嬉しくなっちゃって。」
「お父さんそんなこと言ったの?!」その時父は新聞を読んで知らんぷりをしていた。そういうところ。
「まだまだいける、ってことですね。」と私も思わず言ってみた。
「書いてる時にボールペンがダメになって、こんなんじゃだめですね。私みたいに。」という話から父は嫁にいけないぞ、って言ったとさらに教えてくださった。
会計をその人がしてくれて、父が、「悪いこと言っちゃったかい?」とお詫びを入れていた。すると「そんなこと全然ないですよ」とむしろ嬉しかったと言ってくださり、またさらに「仲」が深まった出来事だった。
食を通して、人と人とが繋がるのだな、ということがわかった。
食べることは、至福で、友達の仲もより深まる。また、世界をもつなげる。
世界も繋がる、ということについては、またいつかのブログで。
車
「空」と言えば「車」という文字を連想した。駐車場の「空車」を思い出した。
#空 といえば。#空車 がでてきました。#このPは #きれいじゃない#Pは好きですか
車といえばガソリンを入れないといけない。
兄は、近所にあるスタンドを利用していた。私は兄の車に乗るようになってから、たまに利用していた。冬用タイヤの交換もそこにお願いしていた。
それをお願いしたのは女性の店員さんだった。
説明も丁寧にしてくださり、こういう方に頑張ってもらいたいなぁなどと思っていた。
名札をちらっと見てみたら、「副店長」の肩書があった。
今乗っている車が亡くなった兄のものということをタイヤ交換の時に伝えるも、その女性はピンと来ていないようだった。
ゴールデンウィークに入る前あたり、私はガソリンを入れにそこのスタンドに立ち寄った。すると、
「無料で点検しますがどうしますか?」
私は少しためらいながらもお願いした。けど結果的にはオイルを交換したり、フィルターを交換してもらって、少し快適になった。
その時、「お兄さんわかりました。優しそうな感じの人ですよね?」と教えてくださった。
「ショックです。」とも。私は兄の死を悲しんでくれる人が家族や友達以外にいたことに安堵を覚えた。
兄はよくガソリン、灯油を買ってくれたとのこと。
灯油を買った時に、倒れるといけないと、洗車グッズが入っているBoxを押さえていたという心づかいも私達兄妹にしてくれていた。
「どんな人でしたか?」私は女性副店長さんに聞いてみた。
「いつも恥ずかしそうにしてました。なんか話しかけちゃいけないのかな。なんて思ってましたw」
兄は人見知りのところがあった。常連ではあったみたいだけど、なかなか心を開くことはなかったらしい。
私が実家に戻ってきたとき、兄はいろんな飲み屋に連れていってくれた。
いつだって私は運転手だった。車もキレイにしていた。
洗車グッズは使った形跡があったので兄は自分で洗車をしていたのだ。
今の車はホンダのNboxなのだが、前はフィットに乗っていた。
フィットの時はいつものスタンドで洗車をしていたと教えてくれた。
「似てないですよね?」言われてしまった。
「そうなんですよ。『妹だって。』って(笑)たまに、『夫婦?』なんて言われることがあって。そういう時私は、『残念ですねー』って言うんですよ(笑)」
笑われてしまった。だけどその副店長さんも男の兄妹とはあんまり似てないといっていて。
妹だよ、と同じようなことを言うことがあると言う。
兄妹って、そんな感じになるのかな、なんて思った。
名札
保育園や幼稚園、または小学校に上がるときなど、持ち物には「名札」をつけることがある。
または、上履きなど直に名前を書くことがある。体育着や給食セット、教科書、ノート。
思えば母が私の持ち物に名前を書いてくれた。
母は統合失調症という思い精神病を患っていた。その昔は精神分裂病なんて言い方をしていた。
あれは忘れもしない、私が小学校2年の時のある日のことだった。
今は亡き父方のおじさんが運転するトラックに乗せられて、私はどこに行くとも言われずどこかに連れて行かれた。
「ちょっと待ってろ。」おじさんにそう言われて私は、これはどういうことなんだろ?と子供ながらに考えながら待っていた。
何分くらい待っただろう。10分くらいだろうか。おじさんがトラックまで迎えにきてくれた。
おじさんについていくとそこは病院だった。母が入院するという。
病棟の扉から患者さんが見えていた。まるで動物園のようだった。衝撃を受けた。
幼い時に受けた衝撃は今でも忘れない。
おじさんは、この現実を小さな私に見せていいものか悩んでいたのではと想像する。
それから、私は学校が終わると公園の近くにあったおばあちゃんの家や、同じ町内にあったおじさんの家に向かっていた。
私は親戚に預けられていた。
月日が過ぎて私たち兄妹は高校を卒業し、運転免許を取得し、車を運転するようになった。
母の病気は「治る」ということはなくて、入退院を繰り返していた。
その都度、下着や洋服、タオルなど必要なものを用意しなくてはならない。
さらに、必要なことがある。
それは、「すべての物に名前を書く」ということ。
重い精神病にかかった患者さんは、自分の物も判別ができないという。
あまり書きたくないなと思うものまで名前を書く。下着とか。
タグがあればタグのところに書くのだけど、靴下などは何もないので少し躊躇してしまう。
名前を書いたからといって、きちんとその名前の通りに下着や洋服がその人に渡っているかといえばそうでもない。
母の場合も時々、「それ誰の?」と思うようなものを着ていた記憶がある。
母が亡くなり、着ていた服など保管してくれていたものが返ってきた。
私はしばらくそれに手をつけることができなかった。
最近、やっと片付けようと中身を見てみた。
見覚えのないものあるもの、いろいろ出てきた。ここ一年、私が買った介護用の下着も含まれていた。母が最後に着ていたものもそれだ。
一つ一つ、確認をしながら、これは捨てるのか、とっておくのか判断していた。
名前のあるものを見ると、兄の筆跡らしきものが大半を占めていた。
それに気づいた私は兄の優しさ、責任感を感じた。背負ってたんだ。一人で。
もしかしたら私は兄に迷惑をかけていたのかもしれないと思ってしまった。
兄が書いた母の名前を見るたびに、兄を感じることもできた。もちろん母も感じた。
私は溢れる涙を止めることができなかった。分別する手が止まってしまった。
使い古したバスタオルを見つけた。
それは、私もかつて実家で使っていたプーさんのバスタオル。私のお気に入りだった。
広げてみると、切れていたり、穴が空いていたりしていた。
そんなボロボロになるまでこのタオルを使っていたのには理由があるのではと思う。
母もこのタオルがお気に入りだったのでは、と想像する。
もしかしたらこのタオルを私と思ってくれていたのかもしれない。
物を大事にするところもあったので、譲らない何かがあったのだろう。
母が着ていたパジャマやジャージ、冬物のカットソーなど、着れそうな物は着てみようと思う。
私の母に対する想いが空に登るのはいつになるのだろう。
DREAMS COME TRUE - 朝がまた来る (from DWL 2015 Live Ver.)
うどん屋
私の実家の道路を挟んで向かい側に、昔から馴染みのあるうどん屋さんがある。
暖簾をくぐって扉を開けるとテーブル席が二つに、左側にはお座敷二席、テレビや雑誌も置いてある。その奥にもお座席があって夏のお祭り時期や年末などはたくさんの人で賑わう。
テーブル席に座ると、正面に大きな金魚の水槽がある。
15センチはあるだろうか。かなり大きな金魚が数匹、お客さんを覗き込むように泳いでいる。
「こんにちは。」
私はお茶をもらい、すぐにざるそばを頼んだ。
近くに銀行があるので、「銀行でも寄ってきたかい?」なんて聞かれた。
「お父さんのところに行ってきたとこなんです。」私は答えた。
ネットの記事を読み終わるとざるそばがきた。私の他にお客さんはいなかった。
蕎麦湯も同時に持ってきてくれた。私は蕎麦湯が大好きだ。
つゆとねぎを入れ、わさびも少し入れてズルズルと音を立てて食べる。
昔と変わらないいつもの味がそこにはあった。
ゆっくりとお茶と蕎麦湯を飲み干して私はお店を後にした。
私たち家族は、食べに行ったり、時には出前をとったり、本当にお世話になった。
私は幼い頃、小学校の頃くらいだろうか。たぬきうどんをよく食べていた。
母がねぎなんうどんを食べていたのをみて私もまねしてねぎなんうどんを食べた。
ねぎが少しトロッとしていてとても美味しかった。その味に惹かれてねぎなんうどんを食べるようになった。
一方で父はざるそばを食べていた。これは昔も今も変わらない。変わったのは麺の「固さ」だろうか。歯が全くない状態で食べるので柔らかくしてもらっているのだ。入れ歯をすればいいと言っているのに父は全くいうことを聞かない。
兄も、ざるそばを食べていた。いつからか大盛りになっていた。ざるそばは私も大好きだ。食べた後の蕎麦湯は必ずいただく。
昔からのいつもの変わらない味が、私を安堵にさせる。
ある時、少しだけお手伝いに伺ったことがあって、その味の秘密を目にすることができた。
それは、「お出汁」をきちんととっていることがわかった。これは私の想像だが、昆布と鰹節、かなんかではないかと思う。
出汁がきちんとしていることでその味に深みが出てくるように思う。
また、お蕎麦を茹でる「釜」が40年以上未だ現役で使っているということ。
薪で炊いている。私はびっくりした。初めて知った事だった。
それを、80を超えた腰が曲がった「おばさん」が今でも現役で茹でているということ。
私が幼い頃もそのおばさんは一人で切り盛りしていた。一人でずっとずっと。
おばさんは、早くに旦那さんを亡くしたという。父が教えてくれた。
手伝いの方も一人いらっしゃるのだけど、この歳にして続けているということは本当にすごいし、身体も大事にしてほしいという気持ちにもなる。
私は、いつまでもその「味」を忘れない。