punimaruko157のブログ

主に急逝してしまった兄の話。

名札

保育園や幼稚園、または小学校に上がるときなど、持ち物には「名札」をつけることがある。

または、上履きなど直に名前を書くことがある。体育着や給食セット、教科書、ノート。

思えば母が私の持ち物に名前を書いてくれた。

 

母は統合失調症という思い精神病を患っていた。その昔は精神分裂病なんて言い方をしていた。

あれは忘れもしない、私が小学校2年の時のある日のことだった。

今は亡き父方のおじさんが運転するトラックに乗せられて、私はどこに行くとも言われずどこかに連れて行かれた。

「ちょっと待ってろ。」おじさんにそう言われて私は、これはどういうことなんだろ?と子供ながらに考えながら待っていた。

何分くらい待っただろう。10分くらいだろうか。おじさんがトラックまで迎えにきてくれた。

おじさんについていくとそこは病院だった。母が入院するという。

病棟の扉から患者さんが見えていた。まるで動物園のようだった。衝撃を受けた。

幼い時に受けた衝撃は今でも忘れない。

おじさんは、この現実を小さな私に見せていいものか悩んでいたのではと想像する。

それから、私は学校が終わると公園の近くにあったおばあちゃんの家や、同じ町内にあったおじさんの家に向かっていた。

私は親戚に預けられていた。

 

月日が過ぎて私たち兄妹は高校を卒業し、運転免許を取得し、車を運転するようになった。

母の病気は「治る」ということはなくて、入退院を繰り返していた。

その都度、下着や洋服、タオルなど必要なものを用意しなくてはならない。

さらに、必要なことがある。

それは、「すべての物に名前を書く」ということ。

重い精神病にかかった患者さんは、自分の物も判別ができないという。

あまり書きたくないなと思うものまで名前を書く。下着とか。

タグがあればタグのところに書くのだけど、靴下などは何もないので少し躊躇してしまう。

 

名前を書いたからといって、きちんとその名前の通りに下着や洋服がその人に渡っているかといえばそうでもない。

母の場合も時々、「それ誰の?」と思うようなものを着ていた記憶がある。

 

母が亡くなり、着ていた服など保管してくれていたものが返ってきた。

私はしばらくそれに手をつけることができなかった。

最近、やっと片付けようと中身を見てみた。

見覚えのないものあるもの、いろいろ出てきた。ここ一年、私が買った介護用の下着も含まれていた。母が最後に着ていたものもそれだ。

一つ一つ、確認をしながら、これは捨てるのか、とっておくのか判断していた。

名前のあるものを見ると、兄の筆跡らしきものが大半を占めていた。

それに気づいた私は兄の優しさ、責任感を感じた。背負ってたんだ。一人で。

もしかしたら私は兄に迷惑をかけていたのかもしれないと思ってしまった。

兄が書いた母の名前を見るたびに、兄を感じることもできた。もちろん母も感じた。

私は溢れる涙を止めることができなかった。分別する手が止まってしまった。

 

使い古したバスタオルを見つけた。

それは、私もかつて実家で使っていたプーさんのバスタオル。私のお気に入りだった。

広げてみると、切れていたり、穴が空いていたりしていた。

そんなボロボロになるまでこのタオルを使っていたのには理由があるのではと思う。

母もこのタオルがお気に入りだったのでは、と想像する。

もしかしたらこのタオルを私と思ってくれていたのかもしれない。

物を大事にするところもあったので、譲らない何かがあったのだろう。

 

母が着ていたパジャマやジャージ、冬物のカットソーなど、着れそうな物は着てみようと思う。

 

私の母に対する想いが空に登るのはいつになるのだろう。

 


DREAMS COME TRUE - 朝がまた来る (from DWL 2015 Live Ver.)