誕生日
4月8日は私達兄妹を産んでくれた母の誕生日だ。
ちなみに、ピエール瀧さんや博多華丸さん、元AKB48の高橋みなみさんも同じ誕生日だそうだ。
うちの母は、もしも生きていれば76歳になっていた。
我が家の風習として、誕生日をお祝いする、ということが全くと言っていいほどなかった。
その日、父にに電話をしてみたが、母の誕生日だったことには触れられなかった。
聞くと、母に何かプレゼントをすることはなかったという。
ところが、先日こんな事があった。
いつものようにお風呂に連れていこうと迎えに行ったら、「食えや。」といいながら、
あるものを手渡された。
バナナと卵だ。
話を聞くと、父は自分がいらないものを私にとものをやるという。
なんの為の私なんだと思ってしまった。
思えば、一緒に食べに行った食堂でも父は残したものを母に食べさせていた。
そこにも通じるものがあるのかな、と思った。
話を誕生日に戻そう。
誕生日というものは、誰しもが持っている「記念日」だ。
喜ばしい事である。
私は以前、入院していた母に聞いたことがある。
「お母さん私を産んでよかった?」
母は、「よかったよ。」と笑顔で答えてくれた。
その言葉を聞いて私は思わず涙ぐんでしまった。
当時、私は離婚をするかしないかの頃で、そもそも私は生まれてきてよかったのか?なんて悩む事もあって。
何か壁にぶつかると、生まれてきてよかったのか?とちょっと深い闇に陥ることがある。
もう今までに何回陥ったことか。
誕生日、それがどうした、って思う人もいるかもしれない。
生まれてきて嬉しかったんだよ、と親は子どもに伝えて欲しいし、子供は親に感謝を伝えて欲しい、と願う。
そうすることで、お互い(親子)の人権を守ることにも繋がるのでは、そんなことを思う。